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建築士の日 「家づくり体験」を開催しました

建築士の日 「家づくり体験」を開催しました

令和4年8月11日に、「建築士の日」の行事として、愛媛県建築士会 松山支部 青年女性委員会主催でイベントを開催しました。

松山市の小学生等を対象に親子で家づくりの面白さを体験していただきました。

ご参加していただきました皆様、ありがとうございました。

令和3年度第1回 支部合同会議が開催されました。

令和3年6月21日(月)

18時30分~

建築士会館 1階会議室にて

支部長、副支部長、常任理事、各委員長、各地区長により

今年度の活動計画についての話し合いが行われました。

 

今後のコロナの感染状況によっては、

実施が難しい行事についても

予定通り、準備を計画していく事になりました。

 

各行事についての詳しい情報については

決定次第、

随時公開させていただきます。

 

松山支部 令和3年度通常総会が開催されました。

松山支部の総会が
令和3年4月21日(水)
理事会17時~
総会 18時~
松山建設会館 2階会議室にて
十分な感染対策を施した上、無事開催されました。

 

支部総会の開催直前にいたり
愛媛県知事による
「まん延防止等重点措置」の適用の要請との情報もあり

支部長以下常任理事による慎重な協議の結果
今年度の支部活動の為には、支部総会は開催すること、

新型コロナウィルス感染防止の対策として、
規模を大幅に縮小し、
理事会、総会とも
支部長、副支部長、委員長、地区長に限定することになりました。

一度ご出席の通知をいただいていた上記以外の理事の方、一般会員の方には、
出席のご辞退をお願いするという、大変失礼な事態になった事を心よりお詫び申し上げます。


総会に先立ち
支部第1回理事会が開催され、
委任状を含む全員の出席があり
議案の審議の成立が確認され
前年、今年度の活動計画、及び収支決済報告について、問題なく承認されました。

前年度は、主だった活動が自粛されていたため
総会における功労者表彰、感謝状贈呈については該当者なしとし、
特別表彰者として、
3月末をもって辞任された大西勝秀前局長を表彰することとなりました。

また、
本会との連絡をスムーズにする事を期して
渡邊修新局長を、新しく理事に選任することも可決されましたことを
あわせてご報告いたします。

 

引き続き開催された支部総会において
特別表彰者として表彰されました大西勝秀前局長からは
「13年間に及ぶ任期期間での最大の思い出は
直前におよぶまで協議された公益社団法人化への移行であり
後々の社会的信用の面からも選択に間違いはなかった」と、
しみじみとお話しいただきました。

閉会にあたり
「今年もコロナコロナで厳しい出発となりました。
コロナだから何もできなかった、という反省は今回で終わりにして、
みんなで知恵を出し合って活発な活動が出来たらと思います。
ご協力の程、よろしくお願いします。」

との花岡支部長からのお言葉に
今年の総会の意義が込められていたのではないでしょうか。

取り急ぎ
ご報告まで。

1級建築施工管理技士・2級建築施工管理技士を目指されている方への情報

1級建築施工管理技士・2級建築施工管理技士を目指されている方への情報

1級建築施工管理技士・2級建築施工管理技士を目指されている方への情報

 

愛媛県建築士会 松山支部

正会員 近藤 岳志さん 著書 の

試験対策のテキストが出版されました。

 

チャレンジされませんか!

 

松山支部 高須賀 範昌

 

 

愛媛県建設業協会松山支部から依頼を受け、機関紙「匠明」に投稿した記事です。是非ご覧ください。 花岡

愛媛県建設業協会松山支部から依頼を受け、機関紙「匠明」に投稿した記事です。是非ご覧ください。 花岡

=宮大工・窪田文治郎=

 前回から「愛媛の歴史的建造物」

と題して、中予地区を中心に素晴ら

しい古建築を分かりやすく、こんな

見方もあり面白い、という視点で紹

介させていただいています。今回は

愛媛県の、主に中予地区で大正期か

ら戦後にわたって多くの作品を残し

た宮大工-窪田文治郎をご紹介し

いと思います。

 

 窪田文治郎の生涯

明治23年( 1890) 8月に、久米村(現

松山市)鷹子に生まれ、昭和50年(19

75)に老衰で86歳の生涯に幕を閉じま

した。窪田家は祖父の時代から続く社

寺建築棟梁の家柄で、父-岩五郎の次男

でした。長男の鉄太郎も大工でしたが、

素行がよくなかった面もあり、文治郎

が跡取りになったとのことです。彼に

は子どもがなく、同性の窪田冨雄を養

子に迎えたいと依頼したこともあった

そうですが、実現はしなかったそう

す。冨雄の息子・秀樹氏は父の跡を継

ぎ、窪田冨建設の社長として後進を育

てています。

 

兄の鉄太郎には橘正一、大西集雄(よ

せお)、田中量などの弟子が居ました。

文治郎は橘家の風呂をよく借りに行き、

出てから長く話し込み、奥さんの貞子

が何度も呼びに行ったというエピソー

ドもあります。大工以外にも左官・屋

根師の参川角助、文治郎と奥さんの貞

子瓦師の篠浦、建具の石田など、多く

の職人たちが彼を盛り立てたそうです。

 

文治郎の人柄

いろいろな人の話を総合すると、彼の

人柄としてまず頭に浮かぶのが「けち」

ということです。仕事しか楽しみがな

い、とだれの目にも写るくらい他の事

には興味を示さなかったそうです。酒

はおちょこ2 ~ 3杯、テレビや映画も見

ず、将棋や碁もやらなかったそうです。

庭の広い家だったが電灯が一つしかなく

薄暗かったそうで、話に行ってたまに淹

れてくれたお茶も、お湯にちょっと色が

付いたくらい薄かったとのことです。

 ある時、若い連中がお金を出し合って

テレビを進呈しようと提案した時、喜ん

ではくれたのですが、電気代は誰が持っ

てくれるのかと言って、彼らを困らせた

そうです。

それくらい質素だった彼は、多くの富を

残したかというとそうではなく、亡くな

ったときに残っていた物は、多くの貴重

な書籍のほかは、砂糖(当時は貴重品! )

のみであったそうです。文治郎に頼むと

「いいものができるが銭がかかる」と言

われることもあったようですが、「寺院

は仏、神社は神が鎮座ましますのにふさ

わしいように」と自分の事は切り詰め、

いただいたお金の総てを作品に充て、堂

宮の造営のみに生涯をささげたと言って

も過言ではないと思います。

最後に、文治郎が信念としていた「三惚

れ」という言葉をご紹介します。第一に

「郷亠」に惚れる事、第二に「仕事」に

惚れる事、そして第三に「家内」に偬れ

る事、だそうです。

この言葉は彼の人柄をよく物語っている

ばかりでなく、「愛媛」で建築に携わっ

ている私たちにとっても深く考えさせる

ものがあると思います。

 

文治郎の作品

彼の作品は久米地区を中心に、道後、久万地区に

多く、松山支部管内の東温市にも見られます。文

化財の修理も手掛け、医院建築、料亭や旅館建築

など社寺建築以外の作品も見られます。代表的な

ものをいくつか挙げておきます。彼の作品には造

型に勢いがあるとよく聞かれますが、建てた時の

年齢を頭に置いて見るのも、面白い見方かもしれ

ません。

・湯神社(松山市道後冠山)

  拝殿及び結婚式場:昭和3 7 ~3 8年( 7 2才)

・繁多寺(松山市畑寺)庫裏・昭和5年( 4 0才)

  大師堂:昭和1 0年( 4 5才)

  山門:昭和1 5年( 5 0才)

     →平成9年頃建替え(元に倣って)

  本堂:昭和3 3 ~ 3 4 年( 6 9才)

  鐘楼堂:同左→平成1 8年建替え

・日尾八幡神社(松山市南久米町)

  拝殿:昭和27年( 62才)

  鳥居:昭和33年( 68 才)

  神門:昭和3 9年( 7 4才)

・浄上寺(松山市鷹子町)

  二王門:大正7 ~1 1年( 3 2才)

・大宝寺(久万高原川菅生)

  二王門:昭和3 0 ~ 3 1年( 6 6才)

  総門:昭和3 2 ~ 3 3年( 6 8才)

  客殿・庫裏、鐘楼堂:昭和3 6年( 7 1才)

・岩屋寺(久万咼原町七鳥)

  大師堂:大正6 ~ 9年( 3 0才)

  本堂:大正1 5 ~昭和2年( 3 7才)

  山門:昭和9年( 4 4才)

  鐘楼堂.昭和2 7年( 6 1才)

・一吉井神社(東温市井内)

  神殿及び拝殿:昭和4 5 ~ 4 6年( 8 0才)

 

松山支部 支部長 花岡 直樹

 

 

 

松山支部 理事会 令和2年11月20日(金)

松山支部 理事会 令和2年11月20日(金)

令和2年11月20日(金)

ANAクラウンプラザホテル松山にて

ソーシャルディスタンスを保ちつつ

松山支部の理事会が開催されました。

今年度は建築士会のイベントについては

やむを得ず延期・中止が相次ました。

今後の活躍は、社会の動向を注視しながら

ではありますが、積極的な活動を進める

方向で頑張ります。

 

また、

松山支部 懇親会を開催しました。

(支部会員・賛助会員合同)

 

ソーシャルディスタンスを保ちつつ、

静かな会食でした。

平穏な日常に戻ることを願いつつ

楽しい一時でした。